現在小学校の音楽の教科書の鑑賞教材ともなっているショスタコーヴィチの「祝典序曲」。
聴きばえするし、大人気曲だけど、ショスタコーヴィチっぽくはない曲だよねぇ。
ロシア革命の記念式典用に作曲されたっていうけど、ロシア革命ってどんなものだったの…?
今日はロシア革命とその時代に生きたショスタコーヴィチの「祝典序曲」に対する思いについて考えてみたいと思います。
ショスタコーヴィチと言えば二枚舌の作曲家、とよく言われていますよね
当時の芸術弾圧を避けるために表面上では社会主義に迎合した曲を書きながら、曲の中に自分の名前や弾圧を行った暴君スターリンの名前を音で刻印して皮肉ったり、カルメンのオペラの「危ないよ」の歌詞部分のメロディーを忍び込ませるなど「隠しキャラ(二枚舌)」的な作曲をすることがあると言われています。
そんなショスタコーヴィチはどんな気持ちで「祝典序曲」を書いたのでしょうか?隠しキャラがこの曲にも存在するのでしょうか?
明確な答えはショスタコーヴィチ自身によっても伝えられてはおらず、想像の域を出ませんが、みなさんの個人的な考察の材料提供になればと思っています。
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コギト|音楽教材研究家
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祝典序曲はロシア革命成功のお祝いの曲
祝典序曲はロシア革命(1917年の2月革命と10月革命)を祝うために作られた曲です。
もともとはロシア革命30周年のために1947年に作曲されましたが、発表はされませんでした。
その未発表の曲を1954年のロシア革命37周年の記念演奏会の為に改作し発表されたのが「祝典序曲」です。
これを依頼されたのは演奏会の数日前だったとのことで元の曲が1947年時点でどのくらいできていたのかはわかりませんが、たった数日でオーケストラ1曲を仕上げたことになります。
ショスタコーヴィチはどちらかというとモーツァルトみたいな天才肌。ベートーヴェンみたいに何度も書き直しとかはしない作曲家だったみたい。
「祝典序曲」が祝おうとしたロシア革命が良くわからないから教えてほしい…
次にロシア革命がどんな革命であったのか簡単に歴史を追ってみましょう。
ロシア革命とその後のスターリン圧政まで
ロシア革命以前
ロシア革命以前のロシアは皇帝が支配する絶対君主制であり、第一次世界大戦での疲弊と貧困、食糧不足(実際に首都のペトログラードでは食料供給も止まっていた)などで混乱していました。
ロシア革命(2月革命)
そこで労働者と兵士が蜂起し、デモはペトログラード全体にわたり、首都の機能は停止。皇帝(ニコライ2世)は退位し、ロマノフ朝は終わりを迎えました。
これが2月革命ですね。
その後臨時政府ができあがり、絶対君主制から立憲君主制・共和制が一旦敷かれることになります。
これで問題は解決せず、10月革命が起きる…
ロシア革命(10月革命)
しかし臨時政府の体制が弱く、もともとの混乱や負担はなくならず、不満は高まりました。
社会主義国家を目指す革命家レーニンによって10月革命が決行され、ソヴィエト政府が樹立されます。
ここでロシア(ソビエト)は社会主義国家となったわけだね。
社会主義国家となったソビエト
社会主義国家となったソビエトは土地や銀行の国有化などの社会主義改革を実施しました。
レーニンは彼に反対する勢力との間で内戦を行い、勝利しソビエトでの支配を確立しました。
レーニンの後を継いだスターリンの圧政
レーニンの健康状態が悪化し亡くなった(1924年)後、党内の権力闘争が悪化。それに勝利したスターリンが権力を握りました。
五カ年計画などで急速な工業化や農業の集団化を推進。
また自分の反対者を大規模に粛清しました。1936-1938年の大粛清で数百万の人々が犠牲になりました。
スターリンの芸術統制・弾圧
スターリンは芸術分野でも統制を行い「社会主義リアリズム」というスタイルを芸術家に強要します。
共産主義を賛美して、労働者や農民の英雄的な姿を描くことを求め、これに反する表現は厳しく弾圧します。
ショスタコーヴィチも最初割とモダンでアヴァンギャルドを指向したような曲を書いていたのですが、この芸術統制以降(表面上は)モダンな作風を封印し、社会主義リアリズムに寄せた曲を書かざるを得なくなります。
自作のオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が批判(プラウダ批判)されたことで弾圧の危険を感じ、完成された第4交響曲もすぐには発表しませんでした。
その後社会主義リアリズムの路線に寄せて書いた第5交響曲「革命」は絶賛されることになり、ショスタコーヴィチの地位は復活し、事なきを得ます。
祝典序曲もショスタコーヴィチが社会主義リアリズムに迎合して書いた曲だったんだね。
10月革命をショスタコーヴィチはどう捉えていた?
革命の結果、後々スターリンの芸術弾圧に苦しめられることになったとはいえ、もともとは君主制による圧政を打開しようとして決行されたロシア革命。
ショスタコーヴィチの家系は「革命一家」として、10月革命の当事者であるレーニンとも遠因があったとされています。
1906年生まれであったショスタコーヴィチは1917年のロシア革命時、10歳過ぎたくらいの年齢でした。
どのくらい革命のことを理解していたかは不明ですが、一家の中で革命の歓迎ムードを感じていたことは確かです。
しかし当の10月革命の日、街路に出ていたショスタコーヴィチの眼の前で巡査が幼い子どもを射殺したという事件がありました。
このエピソードについてショスタコーヴィチは、
この悲劇的なエピソードは強烈に私の記憶に刻みつけられた。
と語り、また、
この射殺された子どもは自分であったかもしれない…
という考えにとらわれ続けたといいます。
そりゃ大変なショックだよね
革命一家に生まれたショスタコーヴィチが当時の絶対君主的政治を変革する革命に賛同していたという点については祝典序曲を肯定的に作曲したと見ることもできます。
革命の日に子どもの射殺を目の当たりにしたショックや、芸術家としての自由を奪われるような思想・芸術統制を行うスターリンという脅威の人物をこの革命が結果的に生んでしまったことを考えると、祝典序曲を作曲した30歳を過ぎたショスタコーヴィチがこれらの記憶を振り返って単純に肯定的な気持ちで作曲をしたかというと疑わしいと見ることもできます。
祝典序曲は「わざとらしく明るい」!?
10月革命とショスタコーヴィチとの関係を知ってから考えてみると、10月革命をお祝いする「祝典序曲」はどんな気持ちで作ったのでしょうという疑問が出てきます。
ショスタコーヴィチはこの曲の作曲に気乗りしたんだろうか…
祝典序曲はまさに祝典向けの曲で根っから明るい「根アカ曲」であると言えますが、他のショスタコーヴィチの曲と比べても異様に明るいテイストのこの曲は、まるで別の作曲家の曲のようです。
ロシアっぽくないしショスタコーヴィチっぽくもないんですよね。アメリカの作曲家の曲ですとか言われてもわからないかも。
前述したように、ショスタコーヴィチの曲の中には名前を音名で刻印するなどの「二枚舌」的メッセージが暗に忍びこんでいるものがあります。
ただ、「祝典序曲」にはそのような「二枚舌」を読み取れる部分も特にない単純なソナチネ形式の曲です。
この曲をショスタコーヴィチはどんな気持ちで書いたのでしょうか。以下考えてみましたがどうでしょうか。
- 純粋に音楽的楽しみで作曲した
- 弾圧されない為に仕事と割り切って作曲した
- 前年の「スターリン死亡」による次の時代の幕開けを祝う曲として作曲した
私の意見としては上のどれもある(全部ある)のではないかな、と思っています。
音楽家としては単純に「いい曲がつくりたい」という思考はあるはずで、いくら作曲の経緯が気に入らなくても作っているうちにノッてきた、というのは普通にある話だと思われます。
単純明快な音運び(不協和音も少なく旋律もわかりやすい)で規則正しいリズムに則ったこの曲は「ま、こんな感じかな」とショスタコーヴィチが音で遊ぶように気軽にペンを走らせたのではないかと想像できます。
ショスタコーヴィチは単純に作曲を楽しみながら「祝典序曲」を書いたということができるかもしれません。
職人的にサササッと書いてしまった感があると思いませんかね。ひねり出して書いてる感じはしないですよね。
逆に「気軽にペンを走らせた」というのを裏返して見ると「やっつけ仕事」で書いたと言えるかもしれません。
また、ショスタコーヴィチにとって共産党は脅威であったことは間違いありませんが、一定の評価を得ることになった後ではそれなりの生活を保証され、演奏旅行も提供されていることから、共産党には少なからず恩義(は言い過ぎかもしれませんが)を感じている部分もあったはず。
仕事と割り切って書いたという路線は大いにありそうです。
また、この曲は一旦1947年、スターリンの存命中に作曲されていましたが発表されず、スターリンの死の翌年の革命記念演奏会で発表されたので、革命の祝典ではなくスターリン死亡(新たな体制の幕開け)の祝典のつもりで書いたという説もあります。
ショスタコーヴィチにはあるあるだけど、いろんな解釈が成り立つよね。
まとめ 障害があるほど燃える作曲家かもしれないショスタコーヴィチ
祝典序曲の目的であった10月革命に対して作曲家が屈折した感情をもっていたとしても、「気軽に」または「皮肉」な感情で作曲のペンを走らせたとしても、「祝典序曲」は今でも多く演奏される人気曲であり、名曲であると言えます。
ラヴェルのボレロのように、時間をかけないでサラッと書いたもののほうが評価されるとかは音楽に限らずよく聞く話ですね。
社会主義リアリズムを強要され、社会主義に迎合する音楽を書かせられてしまったショスタコーヴィチ。
しかしショスタコーヴィチが当時何も強制されずに自由に曲を書けていたとしたら、生み出された曲が今日のような人気を獲得していたかどうかは逆に怪しいのではないか、という問いを立てることもできます。
障害があるほど燃えていい曲が作れるっていう作曲家だったかもしれない…。
プロコフィエフのようにアメリカへ亡命することもなく、あくまでロシアにとどまって社会主義リアリズムの曲を強制されながら書いたショスタコーヴィチ。
そうやって半ばイヤイヤながらに生み出されたかもしれない曲が、それであっても何曲も傑作となっているところにショスタコーヴィチ作品の真価や面白味がある、といえるのではないでしょうか。
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