
こんな質問をされると、

と答えに困りませんか?
- 「生活が楽しく豊かになるんだよ」(学習指導要領の目標のまんま答える)
- 「生活には必要ないかなー、単なる一般教養みたいなものだよね」
あなたならどのように答えるでしょうか?
私が一言で答えるなら、

と答えます。

コギトは大学時代、学部では作曲を修めましたが、大学院時代には「芸術哲学(美学)」を勉強しています。
芸術ってなんであるのか?
芸術って意味あるのか?単なる娯楽くらいの価値なのか?
と、ずっと考えていろいろな本を読みました。
論文にもまとめたことがあります。
そんな私が、
音楽って生きるのにめちゃくちゃ必要じゃん!
と納得できた本があるんです。
↓その本がこれ、
ヴィクトール・フランクルの世界的名著『夜と霧』です。
この『夜と霧』はドイツの強制収容所に送られた、精神医学者である著者がその体験を綴ったもの。
この本の中には
- 生活自体が過酷な場所でも芸術は存在していたこと
- 飢えの中、食事より音楽を求める人たちがいたこと
- 感受性の高い人の方が危機的な状況をよりよく耐え抜くことができたこと
という、
収容所生活の中での芸術・音楽の存在価値
過酷な状況を乗り切る際の感受性の重要さ
についての記述があり、
ここから、
- 音楽(芸術)の価値は「生活上での娯楽」なだけではない
- 感受性を磨くこと(音楽すること)は「生活するため」でなく、「生きるため」に重要なことである
ということができ、音楽がなぜ必要かという答えになりうると思っています。

今回の記事では、
フランクルの書いた名著『夜と霧』の内容を
今回の記事テーマに関係のある部分だけかいつまんで抜き出しながら解説していきます!

『夜と霧』基本情報
作者:ヴィクトール・E・フランクル(ウィーン生まれのユダヤ人)
アドラーやフロイトにも指示した、精神医学者。
第二次大戦中に自身も強制収容所に送られ、子供や妻もそこで亡くし、本人だけが生き残った。その収容所での体験記録である。
名言「そもそも我々が人生の意味を問うてはいけません。我々は人生に問われている立場であり我々が人生の答えを出さなければならないのです。」
Contents
生活自体が過酷な場所でも芸術は存在していたこと
ユダヤ人の強制収容所では、
- 収容者(ユダヤ人)は人として扱われず番号で呼ばれる
- 食事は「全く水のようなスープ」と「人を馬鹿にしたような小さなパン」
- 便所は穴を掘っただけのようなもの
- 入浴はなし、歯ブラシない、ベッドは藁を敷いてあるだけ
このように、ユダヤ人収容者はかなり過酷な環境に置かれていました。
しかし、
人として当たり前の生活すらできなかった世界の中でも
芸術や美しいものが尊ばれていた
ことがわかる記述が『夜と霧』の中にあります。
「収容所においても、労働の最中に・・・、丁度彼の目に映った素晴らしい後継に注意させることもあった。たとえばバイエルンの森の中で(そこは軍需目的のための秘密の巨大な地下工場が造られることになっていた)、高い樹々の幹の間を、まるでデューラーの有名な水彩画のように、丁度沈み行く太陽の光が差し込んでくる場合の如きである。あるいは一度などは、われわれが労働で死んだように疲れ、スープ匙を手に持ったままバラックの土間にすでに横たわっていた時、一人の仲間が飛び込んできて、極度の疲労や寒さにも拘らず日没の光景を見逃させまいと、急いで外の点呼場までくるようにと求めるのであった。・・・感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう?」と尋ねる声が聞こえた。(p.126,127)
実際に良い声を持っているものは大いに羨ましがられることもあった。・・・われわれが(スープを)熱心に啜っていると、一人の仲間が樽の上に上って、われわれの前でイタリー風のアリアを歌った。われわれはそれを大いに堪能したし、・・・。(p.129)
収容所生活を知らない外部のものにとっては、強制収容所の中に自然を愛する生活あるいは芸術を愛する生活があるというがごときことは、それだけですでに驚嘆すべきことのように思われるであろうが・・・。(p.131)」

音楽や芸術が「サウナ」とか「かっこいい服」などのように、
「なくても特別困らないようなもの」(「嗜好品」のような類のもの)なら、
強制収容所では音楽や芸術は存在しないのではないでしょうか。
食糧難の中でも食事より音楽を求める人たちがいたこと
↑強制収容所での食事の例
出典:「TSURU WORLD JOURNEY 」HPより
強制収容所の生活は前にも述べたように、困窮を極めます。
満足に食事は与えられず、
4日間に小さなパン一つだけ、ということもあったと『夜と霧』には書かれています。
↑与えられた食事はごくわずかであり、体は痩せ細ります。
出典:「TSURU WORLD JOURNEY 」HPより

『夜と霧』の中には、こんな興味深すぎるエピソードが紹介されていました。
「前に芸術ということを言ったが、強制収容所内の芸術、といったものがあるだろうか?もちろんそれは何を芸術と呼ぶかによって異なるのである。ともあれ時々臨時の演芸会が催されることがあった。一つのバラックがその時だけ空にされ、木のベンチが運び込まれて並べられ、「プログラム」がつくられるのであった。・・・彼らは少しばかり笑い、あるいは泣き、どちらにせよ少しばかりでも現実を忘れるためにくるのであった。歌われる幾つかの歌、吟ぜられる幾つかの詩、収容所生活に関する風刺的な傾向をもついくつかの冗談、・・・恵まれていない普通の囚人の若干は、昼の疲れにも拘らずこの演芸会に行き、そのためにスープの分配にあずかれないことも甘受するする程であった。」
芸術が、時には、
「食事という生活上欠かすことができないものよりも優先されることがあった」ということです。

感受性の高い人の方が危機的な状況をよりよく耐え抜くことができたこと

こんな反論が聞こえてきそうですね。

「元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的繊細な感情素質にも拘らず、収容所生活の角も困難な、外的状況を苦痛ではあるにせよ彼等の精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。なぜならば彼等にとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊さへと逃れる道が開かれていたからである。かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである。

意外なことに、収容所での自殺者は少なかったといいます。
しかしそれは、「自殺したくない」という人ばかりだったということではなく、
「自殺する積極的な理由もないほどに何に対しても希望が見出せなくなった」という理由による、と
『強制収容所における人間行動』でE.A.コーエンが述べています。
そのような人たちは自殺こそしないものの、無気力となり、自己を放棄し、「彼自身の糞尿にまみれて横たわり」、やがて死んでいったといいます。
ガス室で殺されず、病気にかからなくても、
過酷な生活に自分の精神を持ちこたえさせることのできなかった人が廃人のようになり死んでいったというわけです。
ところで収容所の生活で精神を崩壊させずに耐え抜くことができた人について、
その特徴をフランクルが述べています。
それによると、
- 与えられた不幸にも「自由(積極的)な態度」を持つことができた人
- 「愛する人の存在」「自分の使命」など精神的なよりどころを持っていた人
- 未来への期待(希望)を失わなかった人
自由な態度。物事を慈しむ気持ち。希望。
このような精神性を絶望的な収容所生活でも失わなかった「感受性の豊かな人間」が
精神的な崩壊を免れて生き残ることができた、ということができます。

さて、


このような意味で、

と最初に言ったのでした。
まとめ

この記事ではV.E. フランクルの『夜と霧』の内容を参考にして、
「音楽は何の役に立つのか?」という問題に私なりに答えてみました。
- 生活自体が過酷な場所でも芸術は存在していたこと
- 飢えの中、食事より音楽を求める人たちがいたこと
- 感受性の高い人の方が深刻な状況をよりよく耐え抜くことができたこと
このような事実から、
音楽は生活の中での必要を満たすことはあまりないのですが、
「生きることそのもの」に対して必要な「感情や感受性」をもたらす機会を与えてくれる、と言うことができ、
さらに、
感受性を教育するという意味で、「音楽教育」は「生きる」ための教科、ということすらできてしまう、と私は考えています。
この記事では私見を含めてざっくりと書いています。
「音楽って何のためにあるのか?」について自分の考えをしっかり持っておきたい方には、
ぜひ、自分で『夜と霧』を読んでみることをオススメしたいです。

ぜひコメントなどで読んだ考えなどを教えていただければ幸いです。

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また今度、私が大学院時代に勉強した「芸術哲学」の内容から、
「芸術教育の必要性」「学校の芸術教育は何を教えることが大事なのか」
という点もブログに書いてみたいと思っています。
よろしければ、ツイッターなどをフォローしておいていただけると更新情報をお知らせします!
では今日は以上です!
