歌の授業でなかなか声が出なくて困ってる…
今回の記事では「歌わない生徒」にどのように指導するか、ということについて指導実例を交えて紹介していきます。
私が中学生だった頃の音楽の先生の上手な指導法を紹介。
音楽の授業で生徒が歌わないのはいろいろな原因が考えられます。
- 恥ずかしい(気持ちの問題)
- 歌が苦手・音程が取れない(技術の問題)
- 変声期で声が出ない(身体の問題)
このそれぞれのタイプでまったくアプローチは異なりますが、今日は最も多く指導にも困る1番目の「恥ずかしいから歌わない」という生徒・クラスへの指導法について見ていきます。
めんどくせぇし、歌わねぇ。
周りが歌ってないし、声出すのも恥ずかしいな…
斜に構える生徒や周りと影響し合って声が出ない生徒は小学校高学年や中学生では結構出てきますよね。このような生徒に授業で歌ってもらうために結構手を焼きます。
斜に構えている生徒などは本当に「面倒くさい」と思っているわけではないことが多く、自分のイメージ作り(ダルそうな自分ってカッコいいみたいな)でそうしていることも多いです。
コギト | 音楽教材研究家
- 音楽教員歴18年の元音楽教員。辞めても教材研究が好きで続ける
- 元作曲専攻で鑑賞や創作の授業が得意、ICT・時短マニア
- ピアノはコンクール全国大会入賞レベルでピアノ動画チャンネル(YouTube)も運営
- ICTを駆使・時短マニアnoteで自作教材をアップ、3000ダウンロードを突破!
- 音楽教員のためのオンラインサークル「ムジクラブ」運営中
歌唱指導が上手だった先生の話
自分が中学生の頃の音楽の先生の歌唱指導が上手だったのでその話をさせて下さい。
音楽の先生は2人いました。一人は超バブリーなスーツ(ピンク!肩パット)を着こなし、メイクもバッチリの音楽の先生(バブリー先生と呼ぶことにします)。もう一人は普通のタイプのB先生。どちらも女性でした。
バブリー先生は斜に構えた生徒を歌わせるという意味ではプロでした。
1時間あれば普段担当していないクラスの生徒でもしっかり声を出させることができるので、体育館で行われる卒業式の式歌練習の担当はいつもB先生ではなくバブリー先生でした。
驚いたのは、バブリー先生が式歌練習で指導し、みんなが声を出すようになって終了した次の日。
バブリー先生が都合か何かでお休みし、B先生が式歌練習を担当することになりました。
一旦声が出るようになったんだから大丈夫では、と思いますが、なんとB先生になった途端またみんなの声が出なくなっていったんです。
指導する人で声出さなくなるんだ…、って感じでした。
先生が作る指導の雰囲気で声出すかが決まる…、技術の問題じゃないんだ。
バブリー先生は、
声出さないなんてありえないわよ。
という空気感を非常に上手に出します。元ヤンという噂もあった先生で怒ると多分怖いのでしょうが、普段怒ることはなく、言葉遣いもきっぱりしているけど丁寧。高圧的ではなく怒声もありませんが、毅然とした態度をいつも示しつつ指導をします。
決して叱る・怖い指導で声を出させていたわけではありませんでした。
みんなが歌うようになる「勇気」の指導
発声によって声を豊かなものへ導いていくことが重要であることはもちろんです。
でも歌が好きな子・嫌いな子もいろいろ集まる中学生の歌の指導の第一歩は臆せずに声を出すことです。
歌わないのは技術の問題ではなくまずは気持ちの問題…
合唱部や合唱団であれば歌うことに対してモチベーションがある状態でのスタートですが、小学校・中学校の音楽の授業は音楽が苦手・できればやりたくない・人前で歌うのはイヤという子も参加しています。
義務感Maxで参加してくる生徒にどうやって声を出させるか…
そういった生徒たちもちゃんと授業で歌うような空気作りが重要です。バブリー先生の指導を今思い返しながら分析してみると、以下のようなことがポイントでした。
- ちゃんと歌うまで私は引きませんよ、という姿勢
- 粘り強く声が出るまで指導をやり切る
- 声を出している生徒を褒めて周りを巻き込む
「声を出す指導」の流れ
式歌練習などの時には音取りも済ませて歌える状態ではあるのに最初は全然声が出ません。普段歌うような生徒も体育館の雰囲気や周りが歌わないことに飲まれて声を出さないので、全員そろって声が出ていない状態です。
A先生は発声法や声の響かせ方を最初に指導するのではなく、直球に、
声が出ていません、その5倍くらいの声で歌わないと私は納得しません。
みたいにきっぱり言います。
今思い返してみると、すでにこの言葉がけが上手です。
「5倍で歌え」→数字で表すと目につきやすくわかりやすい(ビジネス界でも良く使われる手法)
「納得しない」→「許しません」だと生徒が悪いことをしているイメージになるから避ける(「私」を主語にするアイメッセージ手法)
でもそれだけではいきなり声が大きくなったりしませんよね。全然変わらないか、むしろより声が小さくなってしまうことすらあります。
A先生はどうするのか。
あら、さっきより声が小さくなってしまったじゃない。5倍どころか7倍になっちゃいましたね。さーどーするの大変。終わらないね〜。
みたいな感じで言います。
こんな感じで「歌わなければいけない」空気作りを着々と形成していくわけです。
歌わなくて困るのは先生でなく、あなたたちだね、っていうのを暗に言ってるところもズルい(上手い)。
この次また同じく声が出ていなかったら、伴奏を止めて無言でもういちど前奏を弾き始めたりします。
何が言いたいかわかるわよね?ん?
と言わんばかり。
または、ピアノの低音を手のひらで「ドーン」と鳴らしたりして
残念ながらやり直しだわ。
とまた同じところを歌わせたりします。この段階、結構スパルタです。
こういう空気感でやっていくと少しピリピリした緊張感が出てくるのですが、集団の中にはこんな子も出始めます。
そろそろちゃんと歌わないと…
くそっ!負けてらんねぇ!
「ちゃんとやらなきゃ」とか「負けてたまるか」という気持ちを上手に煽っていくんですね。そうすると声を出してくる生徒(真面目な子や負けん気が強い子)が出てくるんです。
そうなったらその生徒をバブリー先生は、
すばらしいわ!あなたなんて言う名前?
と褒めます。名前を知っている生徒であれば必ず名指しで褒めます。担当外で知らなければ名前を大きな声で言わせます。これは「ネーム・コーリング効果」という心理学的手法で、名前を呼ばれたりすることによって親密性・信頼感を獲得する方法。
「名前知られたし、ちゃんと歌っとかなきゃ」って思わせちゃうわけね。
この段階で先陣きって声を出して歌う生徒はクラスでも中心的な生徒が多いです。そういう生徒は周りに及ぼす影響も結構大きいもの。ここまでくると、その周りの生徒も「隣がちゃんと歌っているから」という理由でだんだんと声を出し始めるんですよね。
このようにやっていって1時間もすればほとんど全員が大きな声で歌えるようになってるんです。
あの先生の指導、上手かったなと今でも思います。
歌唱「表現」の指導はまず声を出せるようになってから
でもただ大きな声出せばいいわけでもないよね…
バブリー先生の本当の歌唱指導は「大きな声が人前で出せる」という気持ち的な土台ができてからでした。
みんなが一旦大きな声で歌えるように温めてから、強弱なんかを指導していって最後仕上げるという順番でした。
考えてみれば、「気恥ずかしくて人前で大きな声で歌うのを戸惑っている」状態の生徒にフォルテだのピアノだの表現できるわけありませんからね。
バブリー先生はまず「声を出すという勇気」を達成させてから表現の指導に移ったわけです。
気持ちの土台作りが大事…。
厳し目の指導で反抗はしないのか?
厳し目の指導で生徒がへそ曲げたりしないのかな…?
A先生の場合生徒がへそ曲げたり逆に荒れるということはありませんでした。
「厳しくされて嫌だったなー」と心身疲弊して教室に戻るというよりは「いやー気持ちよく歌えたよねー」って爽快感漂わせて教室に戻る生徒が多かったです。
私もバブリー先生の歌唱指導、逆に楽しみにしてました。カタルシスを得た感じの生徒が多かったですよ。
基本的にはみんな歌は好きだし、本当は歌いたいんだよね…
まとめ 周りの目を気にするブロックを取り除く
バブリー先生の指導法、賛否両論あるかもしれませんが、中学生だった私にしても、今から考えても悪くはない方法だなと思っています。
ちゃんと歌える技術と声があっても歌わない生徒は気持ちの問題が大きいです。
音楽やるよりまず声を出す勇気の指導をするってことですね。
- 自分の普段のキャラで「めんどくせぇし歌わねぇ」という態度にしておく
- 周りの声が出ていないから自分も出さない
本当は歌えるのに敢えて歌わないのは「歌うと人にどう見られるか」という周りの目を気にするからです。
歌わないことへの指導は周りの目も含めた「集団指導」なんです。
そもそも恥ずかしいという感情は周りに対して「自分だけ違う」と感じるものなので、歌っている集団が「歌うのが普通」「歌わないのはダサい」みたいな雰囲気になれば、恥ずかしさから歌わない生徒は出ません。
最初に一人・二人と声を出してくれる生徒が出始めるまでが時間かかったりするのですが、そこから次々と集団に連鎖してみんな声を出せるようになっていくことが多いです。
参考になれば幸いです。
今回は以上です!
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